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# by masumi-ashi | 2007-11-10 00:00

自由自在の私の左足。

半年後に検診に来るようにと言われて、3月に行かなきゃいけなかったのに
予約の電話を入れるのが遅くなってしまい、A教授の診察はもう既に予約がいっぱいで取れず4月に延びてしまった。

4月16日。午後3時。
〇〇が丘駅を降りてすぐ目の前の公園を抜けると、去年入院していた懐かしい病棟の窓が見えてくる。

病院の玄関までの坂道は、リハビリ(理学療法士)の W先生と肩を並べて一緒に一歩一歩ゆっくりと歩いた道。

懐かしい思いで あの日と同じ季節の風景を眺めながら、雨も降ってるというのに今日は走って向かっている。
予約の時間に少し遅れそうだったから。


1階の機械に診察券を入れて受付を済ますと、先ずは整形外科の窓口へ。
エスカレーターは使わず、階段を一気に駆け登る。

次はレントゲン撮影。

更衣室でGパンを脱いでレントゲン専用のズボンに着替えたり、台に上がったり降りたり。
術足を曲げたり伸ばしたりの撮影。
この狭い狭い更衣室では椅子を借りなきゃ衣服の着脱は困難だった。

術前や術後直ぐの不自由だったあの足と比較すると、今は自由自在だ。

長時間の歩行も、重い荷物を持っての移動も、周囲の誰よりも持久力があるのは私。

更に背中にはギターを背負って、「杖」なんてとっくにどこかに仕舞い込んだまま。

5キロまでしか荷物を持ったらいけない!と言われながら、
ある日 仕事から帰って抱えていた 大荷物を体重計に載せてみた。
11キロあった。教授には言えない言えない…。

レントゲンの結果、骨の状態は頗る良く、教授に誉められた。可動域も計る。順調。

困ることはあるか?の教授の問いに
間髪入れずに 私 「なんにも ありません!」

次の検診は、
1年後でイイとのこと。

憶えてられるかなあ???忘れてしまいそう!
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# by masumi-ashi | 2007-04-21 17:35 | 退院、その後

記念日。

手術からちょうど1年。

全身麻酔から目醒めた時には人工股関節が体内に入っていた。

3月15日は手術記念日。
麻酔から目が覚めない可能性だってあるのだから、ここからもう一度人生を始められる、もう一人の私に生まれ変わった記念日。

それまでの何十年間の痛みの生活から解き放たれた記念日。

両足の長さが同じになった記念日。

正座をしても膝の位置に差がなくなった記念日。


8年前、母が主治医から1ヶ月の余命を告げられ、亡くなる半月前、私の足を随分と案じていた。

自分が治してあげられなかったからだと、ギプスをしたお前を背負って長年病院に通い切れなかったからだと、母は自分を責め、手術を強くすすめられたたが、私はその頃手術をするつもりは全くなく、寧ろ 悪い部位のある私が私だと思っていたから

治してしまいたくなかった。

生まれたまんまを変えたくなかった。

痛いのが平気だった。

足を引きずってたって平気だった。

みんなが振り返ったって平気だった。


-----------------------
そして色々な経緯があって、こうして治してみると、そう言って私の事を不憫に感じていた母に、今の走り回れるこんな私の姿を一番見せてあげたかったな、と心から想う。
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# by masumi-ashi | 2007-03-16 12:22

ダッシュ。

7月31日の予定だった検診日を、8月28日に変更してもらい、無事術後2回目の検診が終わる。

診察室で教授に「歩いてみなさい」と言われ、私は得意げな顔で狭い診察室を行ったり来たりの、まさにファッションショーのモデルウォーキング。

「背も高くなったみたいだね」と言われた。左足が右足よりも3㎝近く短かったのだから当然そうだろう。

しかも左肩を落として歩かない分 姿勢もいい。
痛くない分、歩く速度も一歩の歩幅も手術前とは大違い。

他に何が変わったか、ってGパンの裾を左だけ短く切らなくてよくなった事。
朝起きたら、なかなか動き出さない足や腰を熱いお風呂に浸かって温めてからでなくても、起床と同時に行動を開始できるようになった事。
重い荷物を持っても長時間の歩行が可能になった事。


行動範囲も拡がったでしょう?という先生は、私が返事をする前から、元々十分行動派でしたよね!と言葉を直ぐに付け足して笑った。

午後3時の予約時間にギリギリ滑り込み、1階の機械に診察券を差し込むと同時に、私の足は2階にある整形外科の受け付けに向かい、物凄い勢いで階段をダッシュして駆け上がったのを同時期に骨折で入院していた K田さんに確りと見られてしまった。
偶然、同じ日に検診だったのかぁ。わかっていれば、ゆっくりお茶でも飲みながら話せたのに。この検診の後は 木更津の友人とこうなる先約があったので足早に病院をあとにし夕方のラッシュの電車に乗り込んだ。

この K田さん、実はその後 この大学病院の理学療法士の研修生だったことが判明。
退院後、リハビリ室で白衣の彼に再会して驚かされた。

この日の 「 國吉さんのダッシュ 」は 当然私の担当だったリハビリのW林先生に伝わっていることは間違いない。ガッハッハ。
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# by masumi-ashi | 2006-09-10 02:35 | あっ、危ない!

浮腫

両方の足首が浮腫み出して 随分経つ。
きっかけは 踵の高いサンダルを履き始めて だいぶ慣れたころ、仕事場で転んで
右足首を捻挫してしまったこと。
なかなか治らないなぁ、と気づいたのが 先月の東京行きの時だから、もう1ヶ月以上経つ。
痛くも痒くもなく 不快でもないので放っておいた。
ただ 太ったんだと思っていたくらい。ついに足首にも肉が付いたんだ、と。
そのうち 挫いていないほうの左足首の様子もおかしくなり、スカートなんか穿いて人前に出ることは許されないような太~い足首になってしまった。

大きな手術の後にはリンパの流れが悪くなり、足首や腰の辺りが浮腫むことがあるという。きっとそれかもしれない。
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# by masumi-ashi | 2006-08-14 20:21 | 退院、その後

検診予定日。

予定では今日が教授の検診を受ける日だった。

東京には先々週行ってしまったので、そんなに続けて上京できるような裕福なお財布は持ってないのであっさりと諦め、F病院の整形外科の予約係に電話を入れ、8月の次の東京の仕事の後の月曜日に変更してもらった。
月曜日じゃないと私の手術を執刀してくれた教授が外来にいない為、レントゲンを撮るだけで診察はあまり意味がないと言われる。

検診を先延ばしにしてもこれっぽっちの 不安もない。
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# by masumi-ashi | 2006-07-31 20:58 | 退院、その後

完全復活だっ!!!!!!!

手術をした3月15日から2ヶ月と19日。退院日4月4日からちょうど2ヶ月。

山口←→京都間(片道450キロ)を車で往復した。元通りだ。何ともない。入院前の体と変わらない実感。イヤ 寧ろ入院前よりも具合が良い。
疲れもなく、私流の長距離運転のコツも忘れていなかった。

京都には尊敬する「書」の師がいる。
今回はどんな助言をもらえるか、どんな有難い話が聞けるか、どんな貴重な情報を放ってくれるのか、一回毎にその楽しみは大きくなっていっった。

入院、手術という理由でできてしまうブランクがとても勿体無いと思っていたが、
今は全くそう思わない。
重たい荷物を持っているとスグに歩行の限界がきていた術前に比べたら 今のほうが余程健康体である。朝 目覚めたら痛くて痛くて仕方なかった足が 今は信じられないくらいに何の痛みも感じない。四季を問わず、毎朝熱いお風呂にしばらく浸からなければ活動を開始できなかったあの日が嘘のようだ。

今回の京都行きは、わたしのカラダの完全復活の確認になった。
この自信は、毎週京都に勉強に行くことと、毎月一度 東京に仕事に行くことへの
少しの躊躇とほんのちょっぴりだけ持っていた不安から解き放ってくれた。
それも、今までは車での移動しか考えられなかったのが、
歩行距離も、階段の多さも気にせずに、新幹線や飛行機という交通手段も選択肢に入ったことが、大きな大きな 進歩である。
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# by masumi-ashi | 2006-06-03 22:58 | 退院、その後

ついにt転倒!私は退院後 初めて転んでしまいました。

このblogの更新をずっと忘れていたくらい、術足の調子は良く、痛みもないし杖も部屋の片隅で埃を被るようになってから日数が相当経過。

でも少し予感はしていた。普段から人並み以上にオッチョコチョイなカラダがこのまま無事に済む筈はないと思っていた。

術後2~3ヶ月は特に転ばないように、というのはこの股関節の手術をした人間の鉄則だ。転んだら脱臼する。そうずっと言い聞かされていたはずじゃないか。

借りたばかりの仕事場(テナント)に写真を撮りに行った時のこと。
契約を済ませ鍵を受け取り、自分で新しい扉を開けた喜びの日。はしゃぎ過ぎていたのは確か。

2階に上がる急な螺旋になった階段。3階(屋上)に上がるこれまた特別急な階段はクリアした。問題は屋上で起きた。

長屋のようなこの建物は隣もその隣も隣も、それぞれに簡易な3階を増築していて通路は繋がっているという不思議な造りになっている。夜だったのがいけない。最上階には外灯もなく真っ暗闇なのに私は携帯電話の小さな照明だけで好奇心のまま動きまわっていた時、足元の段差に気付かなかった…。

イントロダクションが長くなったが、ここで私は転んだ。まるでスローモーションみたいに自分のカラダが浮いたり沈んだりしたのが見えた気がする。あーっ!ついにやっちゃったー!と思った。
脱臼か、激痛か、救急車で運ばれるのか?次の悪い予測も色々想像しながらコンクリートの地面に着地。

膝を擦りむいた。…がそれ以外に痛むところはどこにもナイ。手術した人工股関節は無事だった。

という訳で、
膝っ小僧に子供のような怪我をしてしまった夜のお話でした。
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# by masumi-ashi | 2006-05-30 12:29 | あっ、危ない!

傷口の糸?

ひとつだけ気になっていることがある。

恐るべき快復振りだった私の左足外腿にある傷痕は、他の患者さんがまだ痛い痛いを繰り返しアイスノンを当てて冷やしていた頃から痒くて痒くてたまらなかった。
今時の治療は毎日傷を消毒してガーゼを取り替えて…なんてことはやらないらしい。
透明の薄いビニールのようなものを貼ったまま一週間はそのままだったと思う。一度だけ貼り替えて、次の診察ではシャワーの許可が出た。

その傷口は日増しにきれいになり、痂も全て剥がれる頃には固くなっていた傷の周囲も周りの皮膚との違和感も消え、今では赤みも目立たないくらいにキレイになっている。
…が、一カ所だけ、1~2㎜の黒いトゲのようなものが出ているのだ。

これは何!?

患者同志の情報交換の中では、表面の皮膚は縫っていないが、その内側の一番表皮に近いところは縫合してあって、その糸が人によっては体外に出てくる場合があるとか…。
ある人は出てきたから自分で引っ張って抜いちゃった、と笑っていたが…。
これはあくまで噂で、私自身医師から説明を受けたわけでもなく良く解らない。

引っ張ってみようと思ったが、短すぎてツカメナイ。
毛が生えているみたいなホントに小さなものなんだが、これが毎日毎日気になって気になってしょうがない。

誰か教えて~!
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# by masumi-ashi | 2006-05-10 21:59 | 退院、その後

踏ん張り。

手術をしてから六ヶ月くらいは杖が必要だと聞いていたので、こんなに早く杖を持たずに歩けるようになるとは思わなかった。

検診の朝、早めに病院に着こうと思い早く出過ぎてナント山手線のラッシュにかちあってしまった。

もちろん座るどころじゃない。ドア付近にやっと乗るのが精一杯。なまじ席を譲ってもらってもいくつめかの渋谷で降りて田園都市線に乗り換えなくてはならないから、こんな足で電車内をモタモタ移動してたら簡単に山手線の1周や2周くらいしてしまう。

そこで立っている覚悟を決めて、右手に杖、左手は手摺りにしっかり掴まり踏ん張った。

主治医の先生に話すと、まだ踏ん張れないでしょう、と言われたが
私は踏ん張れたのだ。もう怖いものはない。

この都会の通勤ラッシュも潜り抜け、人に押されても 急停車しても
私のこの2本の足はここまで踏ん張れるようになった。
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# by masumi-ashi | 2006-05-10 17:24

股関節仲間との再会。

私より少し早く同じ人工股関節置換術をした友人が、私の診察日に合わせて病院まで会いにきてくれた。
もうひとり、私より一日早い退院だった人も偶然同じ日の検診日で再会することが出来た。
レントゲン室前の廊下の長椅子で順番待ちをしているのは、確か私の隣のベッドだったFさん…?
鮮やかな口紅を塗っていてお洒落をしていたので同じ病院の背景ではスグにはピンとこなくて声を掛けるまでに数分間を要してしまった。

3人で仲良く地下の食堂で食事をすることになった。
階段に来た時、私の横に並んでいたはずの2人の友人が消えた…!

まだ手摺りを持ったり、1段ずつ両足を揃えてゆっくり降りていたのだった。
「ごめんごめん」と謝りながら後ろの二人と歩調を合わせた私だった。

この手術、15年から20年で緩みが生じたり摩耗する為、再手術が必要になる。それを避ける為になるべく手術年齢を上げる傾向にあるのが現状。
鎮痛剤を上手に使用し、外科的治療を先に延ばし延ばしにして若い年齢での手術を奨めない医師が多い。でもこうして私が手術をしてみると(股関節手術にしては若い?ので)、骨の状態、血液成分、免疫力の高さ、快復の早さ等々を考慮すると、もしかしたらより早い時期に一回目の手術を行い、痛みから解放された数年を過ごすほうがいいような気がする。
私はこの手術を比較的早い時期に選択して、本当に良かったと思っている。
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# by masumi-ashi | 2006-05-10 01:08 | 退院、その後

退院後初めての検診。

5月1日、病院の受け付けカードの登録をし、整形外科窓口に一度寄り、直ぐにレントゲン室で股関節の撮影。
手術前から術後1週間毎に同じ態勢で同じ診察台に乗っていたから快復ぶりは自分が1番良く分かる。
レントゲン撮影用の服に着替えるところから既に手術直後のカラダの動きとはまるで違うことは歴然。

技師が要望する難しい体位や角度も難無く応じることが出来る。寧ろ積極的に次の態勢を準備して待つことが出来る。

産まれたばかりの赤ん坊はまだ寝ていることしか出来ない。まさに手術後のワタシはそれで、先ず寝返りができるようになり、お座りができ、やっと立てるようになると次は一歩歩くのが目標だった。
こうして退院後の初めての検診でここまでスムースに歩行が出来るようになったのは自分でも驚いている。

そしていよいよ教授の診察。第1診察室に私は小走りで入っていった。個人差は勿論あるだろうが、「家の中」と「近場」は杖を使わなくてもヨイとの許可が出た。ただし!「無謀な事」はしないように!と釘もさされた。
教授はもうとっくにワタシの性格をお見通しのようだ。
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# by masumi-ashi | 2006-05-09 19:24 | 退院、その後

なぜか山口から山梨県へ。

5月1日が退院後の初の検診予定日。
山口から上京したのは4月29日。新幹線のぞみで乗り換えナシで東京へ。品川駅で降り、すぐに山手線で新宿まで行き、ホームで「M2」の相方と待ち合わせ。特急あずさに飛び乗り、なぜか山梨県に向かう。

一応杖を持ってはいたが、もう階段は一段ずつ片足ずつ昇っていけるしほとんど安心感と周囲に足の悪さを認知してもらう為だけの飾り。

車窓からはまだ満開の櫻を眺めることができた。
小淵沢駅で私達を待っていてくれたI氏の車で山荘へ。
様々な企業で活躍する人達とその家族達との出会い。
「M2」はピアニカとギターのユニット。この山荘で歌うのが今回の仕事だ。今まで色んな場所で二人で歌ってきたが、ここの空間もまたエンジョイでき、とても気持ちよくステージを終えた。

翌日は温泉に入ったり、清里の硝子工房で再生ガラス製作に挑戦。観光気分を満喫して東京にもどる。
宿泊したコテージは白樺林の中にあり、道も平坦ではない。
旅の途中、術後のこの左足は機嫌を損ねることなく私の行動によく付いてきてくれた。
もう不安はない。
1日の検診日、主治医の先生がどう診断してくれるか楽しみでワクワクしちゃう。
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# by masumi-ashi | 2006-05-09 00:52

仕事復帰。

仕事開始は、4月11日。
書道教室の生徒達の顔を久し振りに見る。

誰もが声を揃えて「お帰りなさーい!」と言って笑顔で迎えてくれた。まるで家族のように私の帰りを待っていてくれた。
まだ長時間の正座に自信がなかったので、洋室を使って椅子と机で指導。
私の仕事場はビルの3階にあるので階段の昇降がまだ少し不自由。室内でも杖が要る。
日常生活の中でまだ不便を感じている事柄は数々あるが、その殆どが手術前からあったものばかりだから、大して苦にはならない。

ある人にいただいた「靴下を穿くための装具」は毎日役にたっている。
こんなアイディア商品を開発してくれた人はやはり私達のように出来ない動作がある人だったのだろうか。

車に乗る時、まだ手で補助をしないと左足が車内に納まらない。運転座席に置く回転座布団のようなものもあるらしい。

世の中には健康で何でも出来る人ばかりが暮らしているんじゃない。困っている人間が心から助かる商品を開発し販売している仕事に携わっている人達に本当に感謝する。

不便や病気を嘆き悲しむ人達も多くいるとは思うが、与えられた環境、制限の中で精一杯やろうとする能力、目一杯楽しもうとする力、私はその事だけには誰よりも長けていると自負している。
不服や不満を感じる前にその場をエンジョイしてしまう、この特殊な性質は生まれ持ったものらしい。母親譲りだ。死んだ母親の生き方に似ている。
小さい頃から何が起こっても思い悩んだりしない。結構色んな場面に遭遇してきたが、苦しいとは思わなかったし、不幸だなんて決して感じないで今日まできた。
実に楽天的に 実に自然体で。
風の吹くまま水の流れるままにここまで来た。
たぶん、きっと、これからも、私は「行雲流水」。
行く雲のように、流れる水の如く、淡々と日々を送るだけだろう。
目指す場所もわからない。通る道も予想ができない。
だから面白いんだ人生は。

生徒達がよく、ますみ先生は前向きでいいな、と言うが「前向き」ということさえ意識をしたことがなかった。
そんな私の生き方が色んな人に迷惑や影響を与えてしまった事にも気付いている。
だけど幸せも一緒に分け合ってきた同志もたくさんいる。
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# by masumi-ashi | 2006-04-26 18:18

空港のボディチェックで私の体がピンポンを鳴らす理由。

空港のボディチェックでピンポンが鳴るのには理由があった。
これから先、私は一生このチェックでは身体検査を受けることになる。
もしかして?と思って確認をしたら私の体に埋め込まれたこの新しい人工股関節の素材が金属(チタン)だったからなのだ。
先にそういう説明をしなきゃいけないらしいが、逆に係員の人間性が見えるから面白い気もする。

今まで一度も鳴った事がなかったので予想をしてなかった今回のボディチェック。
次回からはこちらも余裕を持って係官の態度や言動をチェックしてやるつもりだ。
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# by masumi-ashi | 2006-04-26 08:17

不愉快なボディチェック。

退院後、初の長距離移動。羽田から山口宇部までの空の移動となった。
いつもは○NAを利用していたので安心していたら、○ALのあまりの対応の下手さにうんざり。
足を伸ばせる座席を取ろうとしたら機械では出来ず遠い受付まで移動を要求され、杖をついてやっと辿り着くとそこには20人以上の人が2列に並んで順番待ちをしていて
とても立ったまま待つ気力も体力も続かず 途中で断念し機械の場所にまた戻る。
搭乗時刻まで時間があったので歩き過ぎないように念の為車椅子を借りておくことにしたが貸出しカウンターまでまた歩かされた。
○NAなら速やかにこの場所まで運んでくれるのに。
しかも借りる際に伝票まで書かされたり、機長に容態を伝える義務があるからと、足がどんな状態なのかを聞かれ、術後であることまで詳細説明をしたにも関わらず、手荷物検査とカラダのチェックでピンポンが鳴り響くと係官がツカツカと近づいて来て、上着のポケットから裏表、上から下まで隈無く体を触られ 靴まで脱ぐよう強要されたがあまりにも不快なやり方のボディチェックに痛いほうの左足は強く拒否をした。
実際まだ車椅子に座ったまま上半身を屈めて靴を脱ぐ態勢は困難だったし。
ナイフなんか持ってない。やっと動いてる体の人間が凶器を持ってハイジャックをする筈もない。車椅子の人はいつもこんな風に不愉快な思いをしているのか、とあらためて思う。

悪意を持って車椅子を悪用する事も可能なのだから、調べる事は仕方ないとは理解できるが、その担当者の態度が問題なのだ。
言葉の使い方を勉強すればお客に不快な思いをさせないことくらい簡単な筈なのに。
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# by masumi-ashi | 2006-04-26 07:58

今日まで、そして明日から。

一宿一飯の恩義?で昨日は仕事を終えて帰ってくる友人に食事の仕度をして待っていた。結局、一宿一飯どころじゃない、四泊も友人の家にお世話になってしまう。実家の母屋は旧くて床が抜けていたり外階段が壊れていたり、その上私が過ごせる部屋に行くには幅の広い手摺りも無い大きな急な階段を昇っていかなければ辿り着けないという最悪の状況で、退院間もない人間が暮らすにはあまりに危険度が高かった。それを心配してくれた友人が山口に帰るまでの数日間を自分の家で過ごすように勧めてくれ、私は迷わずそれに甘えた。幾晩も枕を並べて一緒に眠ることなんてこんな機会がなきゃそうそうあるものではない。お互い結婚する前、彼女の中野の野方のアパートによく泊まりに行った想い出など語り合いながら毎日色んな話ができた。懐かしい話、世の中の不条理な話、家族の話、命の話、これからの人生の話。親友とゆっくり過ごせたこの五日間はまた私の「想い出」の1頁になった。

私達はいつも自分自身で取捨選択をして生きてきた。誰かに決めてもらったこともなければ、誰かのせいでココにいるわけでもない。全ては自分で選び自分で結論を出して今日まで歩いてきた。これからだって人に敷いてもらった線路を歩くんじゃない。岐路でもし迷ってもやっぱり最後は自分で行く道を決めなければならない。時には慎重に、でも時には大胆に。一度っきりの人生だもの。思いっ切りエンジョイしなきゃ!!
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# by masumi-ashi | 2006-04-08 09:36

自信。

杖を持たずにウッカリ歩いてしまうのは、確かに完治に近づいているからだと自信が持てる。まだ残る痛みは今まで使ってなかった為の筋肉の重さだけだ。手術をして初めて床に足をつけようとした時のあの大きな違和感はもうどこにもない。左足全体が痺れているような、まるで自分の足だとは思えなかったあの不思議な異物感はもう消えている。

リハビリを始めた頃、2日間続いた休みには1kgの重りを足首に嵌めて筋トレをしたこと。歩行が始まれば病棟中の廊下を際限なく歩き廻って練習したこと。階段を訓練した後は、6階から1階を何度も往復したこと。無謀かな?と思うほど私は動いた。入院中、寝たきり状態の術後四日間以外は昼間ベッドで眠っていたことなど一度もない。その結果が今出ているんだと思う。自分のカラダを知っている自信がある。
まだ術後六ヶ月の十分気をつけなければならない期間の箇条書にされた注意事項も、そのプリントされた活字に聞くのではなく、自分自身の体にきいてみれば判断できる自信が持てた。このカラダとよく相談しながら早い仕事復帰を目指そう。
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# by masumi-ashi | 2006-04-08 08:51

内房線、総武線を乗り継いで。

内房線木更津駅から千葉まで行き、千葉から黄色い電車総武線に乗り浅草橋を目指す。途中下総中山駅のホームで高校からの親友ガッチャマンと待ち合わす。まだ杖をつかないと確り歩けない私を見付けて駆け寄ってきてくれた。何年振りかに逢う友人とホームで抱き合ってしまう。彼女はここ数年、自律神経や過呼吸などに悩まされ電車や車に乗っての遠出は全く出来なかった。今日は私が一人で浅草橋まで行くことを知り、自分の病気を忘れ私のもう1本の杖になるため同行してくれる事になった。

浅草橋の人形問屋や店が多く立ち並ぶ駅前から路地を入った所に、その街並みとは少し不似合いの、黒を基調とした素敵なギャラリーはあった。私が毎週勉強に行っている京都の作家の作品展を観たかったのが理由で、まだ不自由な足を引きずってやってきた。その甲斐あって全く期待を裏切らない作品が眩しいほどの真っ白い壁にセンス良く飾られていた。魂を揺さ振られる迫力のある黒い墨の運びにしばし魅入る。
会場で待ち合わせたあと2人と電車が恐かった友人も、そのMonochromeの世界に何かを感じているらしかった。どこか現実離れしたその異空間は誰もが日々の生活をその瞬間忘れて過ごすことの出来る不思議な時間に違いない。作品の解説など要らないのだ。文字を読む必要もないのだ。その作家の独特のワールドがそこに広がっていけばいい。そこに息づいている 作者の呼吸だとか匂いだとか、カラダの波動を感じとることができたらそれでいい。その作家の在廊日でないことが想像力をより大きく膨らませてくれる。

こうして手術後初めての芸術鑑賞は私にまた大きなパワーをくれた。エネルギーが湧いてくる。私は満足感いっぱいで帰りの電車に乗る。
帰りの電車の中は混んでいて殆ど立っていた。杖ついてるのに誰も席を譲ってくれない…。都会はツメタイです。アタシが生意気な顔して立ってるからかも知れない。頭から足先まで眺められると、こっちも思いっきりガンつけちゃうからネ(笑)。結構奇抜な私のファッションや鞄は杖には似合わないらしい。
杖だからって気が弱いわけじゃない。車椅子や杖の体験をすると人間がよく見えてくる。

電車が恐かった友人ガッチャマンは何の問題もなく下総中山の駅まで無事辿り着いた。私を守ってくれようとして必死になってくれていたから。

それにしても失敗だった。ラッシュの時間に帰ろうとするのは。人波が近づいてくると杖を振り回して周囲に主張してみた。今 転倒するとこの新しい股関節は脱臼する可能性が高いのだと言われた。歩くことに制限はないらしいが、退院後これだけアチコチ出歩くのは珍しいケースだと思う。でも日毎に増す筋肉痛と比例して骨が自分のカラダに馴染んでくるのも分かる。さっき気が付いたら杖を忘れて歩いていた。
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# by masumi-ashi | 2006-04-07 18:56

桜満開、模範囚で出所しました。

予想よりも随分早く出所できる日がきて、最後に私服に着替えて看守さんに忘れ物がないかのチェックを受けヤク(※)はないか?と聞かれ、とっくにやめました、と答える。左手首に嵌められた白い患者認識ベルトを鋏で切られた。これでめでたく娑婆に出られる。


エレベーター前で「國吉さんが退院されまーす!」その時ナースステーションに居合わせた数人の看護師や医師が立って拍手を送ってくれた。そう。まさか刑務所に入っていた訳ではないのだが、それに近い規則正しい生活とバランスの取れた質素だが体にいい食事。朝は6時起床。洗面。検温。血圧。脈拍。前日の尿と便の回数の報告が義務付けられ大きな声で返事をする。毎日3回と答えるのが恥ずかしい日は少し小さい声で2回と嘘を言う。医師の回診。横にされ足の曲がる角度や筋力の検査。メスで切られた傷の治癒具合も診る時はカーテンがサッと引かれジャージのズボンを腰から膝辺りまで下げる。リハビリという適度な労働。この時は階下へ行く事が許される。火木土に許される15分以内の入浴。洗濯。乾燥。廊下を何度も往復。看護師たちコロコロ軍団(下記解説※)の襲撃。火曜日のシーツ交換。午後3時以降の面会。夜9時消灯、就寝。

‥なあんて、こんな風に書くと厳格な辛い苦しい入院生活のようだが、私はこのblogのタイトル通り1ヶ月弱の入院生活を思いっ切りエンジョイできたのだ。実は退院したくない程、毎日が楽しかった。
歩行訓練が順調過ぎるほど順調に進み、もう病院でやることはないでしょう!いる理由がないでしょう!と教授に断言されたらここには居られない。早く次の手術を待ってる患者さんにベッドを空けてあげて 多くの人が私と同じように痛みから解放された生活が出来ること。それを叶えてあげたい。

この整形外科六階西病棟にまた新しい患者が入院した。担当看護師が廊下をゆっくりと病室、洗面所、お風呂、給湯設備、非常口などの説明をしながら歩いている。
教授の職人技のような神の手で、またひとりの患者が病から救われる。
4月4日、私は退院した。感謝。合掌。

※ コロコロ軍団→決まった曜日にやっているらしいが、私達にはそれはいつも突然始まる。南側の部屋から順番に10人近い看護師さんが通称コロコロと呼ばれるペットの毛やカーペットの埃を取る回転式の用具を持ってベッドを掃除しにやってくる。慌ただしい。しかも騒々しい。寝ている患者も容赦無くベッドから降ろされることになる。慌てて靴下で降りてしまい転んだ患者もいる。あとでCT検査もさせられるオマケ付き。あまり歓迎できない軍団。

※ヤク→痛み止めの薬。私は薬剤師が継続で何日分かの鎮痛剤を持ってきた時、もうとっくに痛まないから不要です!と自信を持って返却した。いつも「薬剤師のコ○ゲと申します。」と病室に薬を運んでくださるコ○ゲさん、ごめんなさ~い。
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# by masumi-ashi | 2006-04-07 17:28 | 退院、その後

リハビリメニュー完了。退院日決定。スタートライン。ここからの出発。歩き始めた新しい自分。

術後二日目で血の管が取れ、四日目で点滴が終わり、五日目に尿管が外され、車椅子移動を許されてからリハビリは順調に進んでいった。先ずはプロの指技によるマッサージ。長年の緊張した凝り固まった筋肉をほぐしてくれる。痛いが気持ちのイイ痛み。小さなボールを使っての筋力アップ。仰向けになって膝の下に挟んで足をグッと伸ばしながら圧して離す運動30回。強いゴムを両足首に縛って外側に開く練習。大きなボールに両足を乗せて膝の曲げ伸ばしをしながら上体を起こし腹筋もつける。横向きや俯せで足を上げて数秒間止める訓練。術前もできなかった事だからゼロからのィェマイナスからのスタートだったかもしれない。1日中左足に重りをつけてまで私はリハビリを誰よりも急いだ。歩行訓練に入ると、両松葉杖→松葉杖1本→T字杖へと進歩。大きな鏡で自分の歩く姿を確かめながら平行棒での練習。院内のロビーや病院玄関外周りの坂道を先生と肩を並べて歩く。軽い会話もしながらの余裕も見せて。
そしてここでの最後のカリキュラムは階段の昇り降り。最初は両足揃えて一段ずつ。次は片足ずつの昇降。これがまだ私は出来ず悔しいので日夜病棟の階段を6階から1階までゆっくり降りてゆっくり昇る練習を繰り返す。でも1段ずつスムースに動かす為にはたとえ杖が補助してくれても手術したほうの足でその瞬間自分の全体重を支えることになる。難関だ。


リハビリは私が入院した時から同じ先生が担当を変わらずに自立までを指導し見守ってくれている。雑談も混ぜながら今までの生活振りや痛みの程度、手術に踏み切るまでの道のりを聞いてくれた。手術後は車椅子に乗れた五日目の朝からまたリハビリは再開される。人工関節が体内に入ってからの初の移動や起立からまた座る態勢に戻るのは容易ではなかった。トイレなどは最初の難関。寝返り。物を拾う。ひとつずつハードルを越えて退院というゴールを目指す。長い期間、左肩を落として歩く癖がついている体を矯正しなくてはならない。早く杖が不要になるのが必ずしもイイとは言えないそうだ。今まで3センチは短かった足、術前と術後の膝の位置の違いを脳に伝達して記憶させるコト、リセットさせることが重要だと教えられた。そっか、納得。そこで前のカラダのコトを私は忘れることにした。すると歩行は上手くいった。杖ナシで歩きましょうと言われた最初の歩行はリハビリの先生を唸らせた。そこまで長さの差があって1回目の歩行から体を揺らさず歩けた人は今までいなかったそうだ。退院の時点で片足ずつ階段を昇れる人もいないと聞いた。退院までのもうひとつの目標はこの階段昇降をクリアすること。できるかなぁ?

退院は、4月4日(火)に決まった。手術の日から丁度 20日目だ。
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# by masumi-ashi | 2006-04-03 09:02

ニュウインカンジャノイロイロ。

632号室を笑いの渦と涙の人情物語の舞台へとプロデュースしてくれたK倉さんは昨日元気に退院して行った。

長野県から来ているI村さんは今日が手術日。術後は暫く観察室へ移る。
代わりに入ってきた新人は2人。ひとりは品のイイ素敵な中年女性。お化粧もせず病院のシマシマ模様のまるで囚人のようなパジャマでさえこれだけ見映えが良いのだから普段はさぞ美しいのだろうと想像させてくれる人。

人間の品格はこうして内面から滲み出てくるものが本物だと思う。アナウンス学校時代に講師だった榎本勝起先生が言っていた「生活は顔に出る。品格は声に出る。」を思い出した。うーん納得。
新入りのもう1人はムカつくくらいのマイナス思考人間。楽しい話は一切ナシ。不満と不服ばかりを並べ立てる。痛いのは勿論苦しいだろうが、この人の病気がこの中で1番重症とも思えない。こういうタイプは多分風邪を引いただけでも文句を連発するのだろう。まさに品格は声に出る、の如く喉が潰れたような声だ。溜め息に、欠伸に。人を心地良くしてくれる言葉は一度も発しない。

最初は少し頷いて話を聞いていたが、遂に私の我慢の限界は突破した。喧嘩を売る気はないがあまりに矛盾した話。それは人のせいじゃない、アナタ本人のせいでしょう、みたいな事を私は作った笑顔でハッキリと言った。それでも合わせていた隣の品のイイ女性は、私の発言に大きく首を縦に振り嬉しそうにこちらを見て微笑んだ。

私は起こしていたベッドを平にして寝たふりを決める事にした。時間の無駄使いはしたくはない。このオバサンのお陰で6階西病棟632号室の雰囲気はぶち壊された。楽しかった入院生活に暗い影が見え始めた気さえする。
あー、また溜め息をついている。部屋の空気が濁っていく。
あー、私のベッドサイドまで侵略してきた。ここは私のテリトリー。
松葉杖で入れないようにしとこ。
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# by masumi-ashi | 2006-03-31 09:43 | 患者のいろいろ

ワタシノカラダノコト。

明らかになった事が幾つかある。入院してから手術をして今日までの病院生活の中で、これまで自分でも何となくそうじゃないかなぁ?と感じていた事がデータとして、または医療のプロ達の言動から次々に明らかになったコト。

◎血が濃いというコト。400cc抜かれてもフラつきもしない体。
◎血管が太くて丈夫だというコト。手術の前に注した点滴が術後3日まで針を刺し替えなくて済んだ人は珍しい、と言われたり。
◎血が早く止まる。注射針を抜いた後、5分位強く押さえて血が止まってたらガーゼを外せと言われ採血の担当者が部屋を出た途端ガーゼを外してみるが止まっていた。
◎骨が硬いというコト。手術の際、予定より時間が遅くなったのは私のホネが硬すぎて執刀した外科医A教授は削ってはその手を空中でブラブラと振り、また削っては振り、を繰り返しながらその作業はとても大変だったとの証言を某先生から入手。後日その教授にも直接確かめてしまった。骨密度がよかったそうだ。30年越しの激痛にも決して痛み止めを服用しなかった私の根性が正しかったナと確信。骨は他の患者に移植できるそうで承諾書にサインをし判を捺した。
◎心臓が丈夫だというコト。毛が生えているんじゃないか、とよく周囲の人から言われてはいたが、心電図その他肺活量の検査等々でその事実も明らかに。それは手術当日の手術室での私の様子を過去のblogで読んでくれた人は解ると思うが、手術が近づくその瞬間まで脈拍も血圧も動揺していない証に数字は平常値だったのだ。
◎腕っ節の強さ。初めて車椅子の使用を許可された術後五日目の朝からその運転の技とスピード、狭いトイレをスリヌケル小回りの良さはタダモノではなくナースステーションを通り過ぎる速さに担当看護師さんは驚く。そういえば二の腕は太いが力こぶもある。同室の患者さんの世話をしていた時、水筒にお湯を入れてあげた時も他の人が数人試しても開かないほど私は蓋を強く締めていた。ペットボトルも同様、私が締めると他の人では開かない。指の力も強いらしい。エアコンと窓の隙間に収納してある見舞い客用の折り畳みの椅子を車椅子に座ったまま両手で重量挙げのように軽々ヒョイと持ち上げてしまったとか。
◎右足の筋肉の強さ。長年悪かった左足を庇うために私の右足は何倍も努力をしていた。左フトモモよりも右は4センチも太く、柔軟性も人一倍。立っている時は殆ど右片足立ち。普通は庇うほうの足も弱くなるんだと言う。私の右脚はあくまで頑丈だった。
ありがとう!右足くん。削り取られてしまった左股関節くんも今までホントにありがとう!次は誰かの役にたってネ。新しいピカピカの人工股関節は大分私の体に馴染み、違和感も取れてきた。今朝、洗面所で両足立ちでシャンプーしていた時、フッと右足への負担が術前より軽くなったと思った瞬間があった。左足に体重をかけることに不安を抱いていたのが、新しい自分の左足をやっと信頼できるようになったのだ。借りてきたロボットの足みたいだったのが。もう大丈夫。あとは日数とリハビリ次第。
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# by masumi-ashi | 2006-03-30 21:09

たくさんの励ましのメール、お花、みなさんの気持ち、どうもありがとう!

手術日当日やその前後にたくさんのメールをいただきました。
お返事しきれないほどの温かいメッセージ、本当にありがとうございました。

遅くなりましたが、このページを借りてお礼申し上げます。
全てリアルタイムで読んでいました…がなんせ病室のため、携帯からメールする時間が限られています。
お返事ができなかったコトお許しください。私はとてもゲンキです!!

F山T子さん。K脇Mみさん。M原K織さん。K田M加さん。I丸M子さん。Y本Hみさん。K原R子さん。H原M美さん。K間田S代さん。他、山口県の教室生のみなさん。
兵庫県から素敵なお花を送って下さった書家のI田Kさん(実はこの病院、生花は禁止で、取り上げられた患者さんもいるんですが遠く兵庫県から届いたせいか?私のは黙認され枕元に今も飾っています。)。
音楽ユニット「かぽたすと」を一緒に組んでいる相方、オーパのマスターSちゃん。DJのY悟くん。アナウンサーのS松A子さん。千葉県木更津のKし。Mみ。返事もできなかった私に毎晩毎晩励ましのメールを送り続けてくれる千葉県市川のガッチャマンことS田E美ちゃん。幕張の生徒A葉N子さん。東京在住の生徒、T尾H美さん(中トロのお刺身の差し入れ、超美味しかったョ!)。

みんなみんな、心配してくれて本当にありがとうございます。
多分、この病院で同じ人工股関節置換手術を受けた患者の、退院までの最短記録を私が書き変えることは間違いないようですので、「復活」を待っててくださいネ~ッ!!!
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# by masumi-ashi | 2006-03-27 07:27

戦い。Part 2

申し訳ない。尾籠な話は続きます。
トイレに行きたい衝動で目を覚ますと膀胱が爆発しそうなほど尿が溜まっている。尿管をつけているからそんなはずはないのに今にも漏れそうな感覚なのだ。ベッドサイドのナースコールを探すが下に落ちてしまったようでどうしてもみつからない。これは麻酔が切れた時の痛みにも匹敵する苦しみで、脂汗と寒気を交互に繰り返す。起床時間前だったこともあり音や声を出さずに我慢したつもりだがベッドの軋む音、手摺りにつかまってのたうちまわる様子を察知してくれた隣の人が看護師さんを呼んでくれた。 何かの加減で詰まって流れなくなっていた尿管を直してくれ、即効スッキリ。


次の朝から車椅子の使用を許可されるという前夜。寝たきり最後の夜。一度軽くなったお腹と次からは自分でトイレに行けるんだ、という安心感で再び湧いた食欲のせいでその陣痛は突然真夜中にやってきた。仕切りのカーテンが閉められた中でまたひとり腕組みをし思案した。もう看護師さんに処理してもらうのはイヤだった。どんなに優しく丁寧にしてくれても自分で出来るに越したことはナイ。私は左足が役に立たない分、右足の機能(柔軟さ、筋力、指で物を挟んで拾う力等々)と腕の力が元気な人よりも優れている。考えた。手を伸ばしたらオムツに届いた。二枚取って腰を浮かせて自分で当てた。孤独なカーテンの中でお産を迎える気持ちで踏ん張った。声を殺してイキんだ。ベッドの両側の手摺りをしっかり掴み、陣痛はピークに達し、まもなく無事出産。終了後おしりをキレイに何度も拭いて畳んでニオイがもれて同室の人に迷惑かけないように速やかに静かにビニール袋に詰めて、ブリッジのような格好で下着とパジャマのズボンを穿き、時間はかかったが全作業が終
了。疲れ果てた体は直ぐに熟睡モードへ。翌朝、検温と血圧を計りにきた看護師さんに、こうこう、こう…で自分で後始末までしましたから、とオムツを捨ててもらう。寝たきり状態での患者の患者によるセルフ介護。前代未聞らしい。部屋中が感心と驚きと笑いの渦。その日のナースステーションでも話題騒然になったことは言うまでもない。
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# by masumi-ashi | 2006-03-25 14:14

戦い。

その後、痛みは少しずつ遠退き そのまま安らかな夜を迎えられる筈だと安堵した矢先、異様なお腹の張りに苦しむ事になる。そうだ。術後一日目から張り切って食べきってしまったあの三回の食事のせいだ。この白いベッドに寝たまま縛りつけられたような状態で用を足す事ができるのだろうか?しかも「おむつ」に。その上個室ではなく六人の大部屋だ。迷った。悩んだ。考えた。カラダの角度は45度までしか起こせない。看護師さんに相談。もうこの際浣腸でもなんでもいい。この体内から余分なものを何とかして出してー。そう叫びたかった。腹部を触診し、聴診器を当てる看護師。この段階での浣腸はまだ早いからガス抜きをしてみましょうとの診断。細長いゴム管を●門から差し込まれ(ス、スミマセン…全国のマスミファンの皆様!こんな尾籠な話で…)、なにやら器械でチェック。ガスは貯まっていないという。だって普段からお●●は出ないもん。そのかわり毎食後、必ずお通じがあるのだ。便秘の経験もない。下痢もしない。カラダの循環の良さが自慢の
私だ。多分人より腸も短いと思う。おやつを食べてもトイレに行く。そんなオナカには三食が貯蔵の限界。自分の体は自分が1番良く判る。ウッッ!なのにその看護師はさらに私のそこに指を入れた!そうするとマニアルに書いてあったか看護学校で習ってきたのか知らないけど、とても自信を持った顔でこう答えた。「まだ下がってきていないから今浣腸をしてもお腹が痛くなって苦しくなるだけです。」と。でも時間は残酷で究極まで我慢はしたが、恥ずかしいとか言ってる場合や段階ではなくなってきた。もうひとりの看護師さんは浣腸賛成派のようだったのでその直後そちらに頼み浣腸してもらった。そして二回に分けて排泄しその度ナースコールで始末のお願いをする。それはそれは丁寧にきれいに拭いてくれるし最後はお湯を流して洗ってもくれる。有り難いやら恥ずかしいやら…。私は天井を見上げながら、寝たきり老人の悲しみと切なさをも知ってしまった。一度目の戦いはこれでおしまい。Part2につづく。
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# by masumi-ashi | 2006-03-24 22:15

激痛の一日。

予期しなかった、夜中の激しい痛みに歯をくいしばること、数時間。背中の管から注入している鎮痛剤が切れていたからだと後から判る。ちょうど当直の先生が主治医だったのでこの痛み止めを追加してもらいましょう、との事。看護師さんができる範疇ではないのだろう。余りに私が苦しんでいたので座薬は入れてくれたが全く効果がなく脂汗が増すばかり。運ばれてきた救急患者を手当てしているというので、終わるのを待つしかないらしい。どれくらい待っただろ。私が生まれ育った木更津の隣町出身という医師の顔が目の前に現れたのは。あの時は彼の存在が神様に思えた。「ごめんねー、国吉さん。遅くなってー。」その一言も嬉しかった。急いで駆け付けてきた様子のその医師は手際よくとても慣れた手つきで私の背中から繋がっている長い管の先にある透明のポンプのようなケースの中に液体が注入された。それだけで同じ痛みにも安心して耐えられる。暫くして眠りに墜ちたと思う。
夜が明けてもまだ痛みは続いた。夜中の激痛とは比にならないくらい楽にはなったが、それはまだこのアタシが食欲がナイ程の痛み。運ばれてきた朝食の御膳は横の机に置かれたまま見てもいない。その痛みと闘う中、私のベッドは術後の四人部屋(有料5千円/1日)から、元の六人部屋(無料)へと移動された。廊下をゴロゴロと音を立てて。同室の仲間達が「おかえり~!」と声を掛けてくれ、まるで家に帰ったようだった。みんな術後短くても独りでは動けない四日間はナースステーションのすぐ横のこの有料の部屋に閉じ込められるのだが、私は何故か最短で出されてしまった。チョー貧乏な私にとっては部屋の差額ベッド代がかからなくなっただけでもホッとしたけれど。そしてこの部屋で安堵して眠りにつく予定だった。ところが、このあと別の「戦い」が私を待ち受けていたのだ!
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# by masumi-ashi | 2006-03-24 19:43

3食完食。

術後一日目。驚異的な快復振りに周囲は目を丸くして驚いた。痛み止めがまだ効いていたからかもしれないが、どこも痛くない。30年以上付き合ってきた痛みとこんなに簡単にサヨナラができるなんて。でも四日間は何があってもジッとしていなければいけない。寝返りも自由には出来ず横向きになりたい場合は看護師さん二人の手と装具が必要。手術をした左足は常に固定された細長い箱の中に収納しておくこと。右足との間にも大きなクッションが挟まれて、決して内股にしては駄目。脱臼してしまうから。食事時のベッドの傾きは45度まで。そんな悪環境の中、私は朝から出てきた普通食を残さず食べる。昼ご飯はカレーライス。こんな寝たきりの状態でこんな刺激物を体内に入れていいのだろうか?という疑問も一瞬脳裏をかすめたにも関わらずまた完食。前日から飲食を制限され胃の中は空っぽになってるのだからお粥のほうが望ましいと思ったが、もちろん、夜のご飯も。出されたものは残さず有り難く戴くと育てられた私には平らげるしかない。結局3食完食。流石に
切ったばかりの傷口はほてり体温は38度を超えてはいたが会話も苦ではなく、部屋を訪れてくれた同室だった人にも熱く語っていた私。これが、自分のパワフルさに呆れ果てた術後第一日目。麻酔から醒めて24時間の私のカラダ。
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# by masumi-ashi | 2006-03-23 06:06 | 入院から手術まで

目醒め。手術当日。

そして…
目醒めてしまいました。遂に。それも今までの患者には例のないようなハッキリした目覚め方だそうで、手術終了後まだ手術室にいる間に患者に声を掛け、反応があり自発呼吸を確認してから口から通してある、呼吸を助ける管を抜く作業をします、と事前に麻酔担当医師から説明を受けていた通りにその手順はやってきて、「國吉さぁーん!終わりましたよー!」の大きな声で私は目を開けた。「管を抜きますよー。」と言われ喉に強い違和感を感じた後、掠れた声しか出なかったが「あー、気持ちよかったあ!」と言葉にした。それが私の第一声。手術中、何だかとっても気持ちの良い夢をみていたのは確か。だから本当に気持ちが良くて、ちょうど生ビール中ジョッキ3杯飲み干したくらいのキモチヨサで(個人差はあるが)、とても心地のイイ目の醒め方だった。

―――前後するが、手術室に入る時を見送ってくれたのは家族代表者1人と木更津から来てくれた親友1人。ベッドに乗せられて半分麻酔がかかっているか、酸素マスクを被せられてるか、朧げな私に「頑張ってね!大丈夫だからね!」等と手を強く握って励ませながら運ばれるだろうという予想の元、その雰囲気を味わいたくてわざわざ友人まで呼び出した訳なのだが、現実はそのドラマのような台本とは程遠い展開で、前夜9時以降から飲食禁止の為、手術日の朝栄養補給の点滴を腕に注され、その点滴台を自ら私が転がしながらのシッカリとした自立歩行で6階から手術室のある3階へ向かう。じゃね!って付き添いの二人には笑顔で手を振って、ベルトコンベアのような寝台に乗り(載せられ)、まるで市場のマグロかなんかになった気分で、次に起こる事にワクワクしながら手術ルームスタッフ達の指示通り私の躯は進み、最初に胸に心電図のテープ、脈拍をみる器具、血圧計など次々に手際よく装着された。私の寝ている右横にその数値の画面は表示されていた。右を下に横
向きになって下さい、と言われ先ずは背中から長い管を入れる為の麻酔。そんな状況の中私の右横の画面の血圧は確か上が117下が75くらいだったと思う。普段と余り変わらない。周囲の医師軍団にこういう時は血圧が上昇していくものなんじゃないか?と質問している私がいた。前日に私の病室を訪ね説明してくれた麻酔医はまだ経験が少ないらしく、上手に説明をしたのか、という内輪の会話が耳に入ってきたので、とてもよくわかりましたよ、絵も描いてくださって丁寧な説明でしたと私が言うと その見習い麻酔医(違ってたらゴメンナサイ)はみんなに「お~ぅ!絵も描いたのか。どんな絵だったのか見てみたいねー。」と誉められ、周りも私も大爆笑。顔は見えなかったが本人も得意気に笑ってる様子が浮かんだ。その針を注したのはベテラン麻酔医のほうか横で研修していた麻酔医のほうかは不明だが、「落ち着くんだ。落ち着くんだ。」という自分を言い聞かせている決して小さくはない声に私が即反応して左後ろを振り向いてキッと睨んだのを見逃さ
なかった一番近くにいた看護師さんが今準備をして針を注すところですから大丈夫ですよ、と助言。イヤイヤ私は最初から全然大丈夫なんだけどぉ…。そんな風に私はこれから始まる大手術を直前に平常心でその場を楽しんでしまった。―――

話は戻るが、術後先生に見せられたレントゲン写真、左股関節に真っ白な人工関節が入れられたのを見たのもハッキリ記憶にある。先生達と交わしたジョークの一言一句。執刀してくれた教授に手術室で一度も会ってないですよー、と私が言った事も。担当の看護師さんが迎えに来てくれて、またそこでもキモチヨカッター、と叫んだ事も。他の患者はこの時のことを再び病室で眠ってしまった後は憶えていない人ばかりだと言う。私はそこから部屋に運ばれるエレベーター内も病室内での会話も、目白まで帰る家族と木更津まで帰らなきゃいけない友達に帰宅を促した事も明白に記憶している。術前に同室だった心配してくれてる人にビデオに向かって酸素マスクを外しながらコメントしていたなんて前代未聞に違いない。

とても骨が硬かったという理由からか予定よりも手術所要時間が長引いて、待っているほうは心配だったようだが、だから私の麻酔はハッキリと醒めていたのかもしれない。術前の問診表に【お酒は強いか弱いか】という項目があったが、これと麻酔に何か関係があるような気がしてる。素人考えだが。

追伸。
病室で手術着に着替えた時、私は既に積極的にスッポンポンになり手術室に立ち向かった勇姿を笑ってください。手術室に入ってから脱がせてもらえばよかったのものを私はもう下着もつけていなかったのでとても恥ずかしかった事を、消灯した真っ暗闇な病室から付け加えておきます。
あっ、また看護師さんの見回りです。
寝たふり寝たふり。(-.-;)
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# by masumi-ashi | 2006-03-20 01:13

麻酔でもしも目醒めなかったら。

午後から手術室担当の看護師と麻酔科の医師の訪問があり、明日の手術の詳細を説明してくれた。別々に来られたので同じような話が重複していた。麻酔には危険性もあるんだという話。手術前日に不安を抱いているような患者なら反ってドキドキして心臓に悪影響だと思う。隣のベッドのオペ前のおばあちゃんは傍で聞いてるだけでオソロシクナッタワと言っていた。私は?といえばまるで人ごとみたいで冷静にその医師の説明の仕方の優劣なんかを心の中で採点しながら聞いていた。たとえ麻酔から目が醒めなかったとしても好きなように生きてきたから悔いはない。手術を明日に控えた患者らしくない患者なのでありました。
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# by masumi-ashi | 2006-03-15 12:28